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美丈丸について

美女丸伝説

今からおよそ一千年前、多田源氏と呼ばれる武士たちが摂津の国の北部を支配していました。その武士たちを率いる源満仲の末子、美女丸は素行が悪く、人の忠告を聞こうとしませんでした。見かねた父は美女丸を寺へ預け、僧になるための修業をさせることにしました。

時が流れ、父満仲は十五才になった美女丸を呼び寄せ、修業について尋ねました。しかし、気の向くままの生活をしていた美女丸は、和歌や管弦はもとより経文も読むことができなかったのです。怒った満仲は、家来の藤原仲光に美女丸の首をはねるように申しつけました。
驚いた仲光は、主君の子の首をはねることがどうしてもできません。困り果てた仲光は、「私を身代わりに」と命を差し出す我が子の幸寿丸の首を断腸の思いでかきとり、満仲に差し出しました。そして美女丸をひそかに逃がしたのです。

後にそれを知った美女丸は、悔い改めて比叡山で修行に励みます。
出家した美女丸は、比叡山で修行に励み、やがて源賢阿闍梨(げんけんあじゃり)という高僧になりました。

ある時、師の源信僧都に伴われて当山を訪れた源賢は、年老いた満仲と母公に再会し、美女丸であることを明かします。驚き喜ぶ母でしたが、その両目はすでに見えなくなっていました。
それを見た源賢は当山に留まり、阿弥陀如来に誓願をかけ、「母の眼病平癒させ給へ」と丹誠こめて念じました。そして7日満願の暁には、両目が全快するという不思議が起こりました。
ますます信心を深めた母公は、源賢のために円覚院(現在の本坊)を建立します。このときから「開眼阿弥陀如来」と呼ばれるようになり、眼の病の回復を願う人々が祈願するようになりました。
この仏像は、当山を開いた勝道上人の一刀三礼(一度刻んでは三回礼拝すること)の作と伝えられております。

三廟

謡曲「仲光」 「美女丸伝説」は、室町時代に能に脚色されています。
謡曲にあわせて舞う能の題材には、古典や伝説が好んで使われました。

美女丸伝説も四番目もの(いつも4番目に演じられる曲目)にとりあげられ、多くの観客の涙を誘ってきました。曲の名は、観世・梅若流では「仲光」、ほかでは「満仲」といい、古くは「美女御前」ともいわれました。
シテ(主人公)は仲光で、物語は進みます。主従関係の重みと、仲光の心の葛藤を見事に描いた作品であり、中世の世界を切り開いた武士の倫理の厳しさもよく表現されています。 挿絵とあらすじが京都大学電子図書館のホームページに掲載されております。